【画像】三田明の嫁は16歳年下の美人!馴れ初めや子供の人数をリサーチ!

三田明さんといえば、1960年代にその美少年っぷりと美声で多くのファンを魅了してきましたよね。

「美しい十代」などで知られ、『長七郎江戸日記シリーズ』など時代劇俳優としても活動しています。

そんな三田明さんの奥様は、一体どんな方なのでしょうか?

そこで今回の記事は、

・三田明の嫁はどんな人?
・三田明と嫁の馴れ初めは?
・三田明の子供の人数もリサーチ!
・三田明のwiki経歴プロフィール!

こちらの内容でまとめていきます。

目次

【画像】三田明の嫁は16歳年下の美人!

三田明さんの奥さんは、なんと16歳年下なんだとか!

奥さんは一般人なのでプライベートは明かされていませんが、かなりの美人という噂がありました。

結婚した1985年当時、三田明さんはイケメン大スターでしたから、奥さんも相当美しい方なのでしょう。

当時三田明さんは37歳で、16歳年下となると、お相手は21歳の若さですね。

奥さんは若いながらもしっかりしていて、三田明さんに的確な指摘をするそうですよ。

三田明さんの人気っぷりを知らなかったので、ある意味怖いもの知らずで指摘するのだとか。

きっと聡明な奥さんなのでしょうね。

【画像】三田明と嫁の馴れ初めは?

三田明さんと奥さんは、行きつけのお店で出会ったそうです。

三田明さんがよく飲みに行っていたお店の娘さんが、奥さんだったそうですよ。

初めて出会ったときは、まだ10代だったというから驚きです。

当時三田明さんは、自宅火災で顔面に大火傷を負い、テレビから姿を消していました。

そのため、奥さんは三田明さんのことを全く知らなかったそうですよ。

なんと、「魚屋のオッサン」と思っていたそうですよ(笑)

店主である父親が、「昔は大スターだった」と説明したそうです。

奥さんが三田明さんに物怖じせず指摘できるのは、そんな経緯があったのですね。

そこからどのようにして結婚に至ったかは、わかっていません。

妻は亡くなっていた

三田明さんの奥さんは、2022年に亡くなっていたことが分かりました。

死因については公表されていませんが、病死だったようです。

三田明さんより16歳も年下ということで、まだ若くして亡くなってしまったのですね。

2022年時点ではまだ59歳前後だったと思うので、三田明さんのショックは計り知れません。

三田明さんの生活は、奥さんの死後、大きく変わったそうです。

初めて一人で家事をこなすようになり、わからないことだらけで大変な思いをしました。

奥さんは家庭をしっかり守っていてくれたので、掃除や洗濯、料理など、三田明さんが関わることはありませんでした。

しかし、奥さんが亡くなり、全て自分でやることに。

「これは覚えなきゃ!」と必死で、ひとつずつ取り組んでいきました。

掃除の仕方や洗濯機の使い方、料理の作り方など、すべてインターネットやAIを使い、独学で覚えていったそうですよ。

奥さんが闘病中も、三田明さんが1人で看病していたので、その疲労とストレスがとんでもないことに。

体重が10キロも落ちてしまったそうで、非常に深刻な状態だったようですね。

そんな過酷な状況でも、三田明さんは奥さんを最後まで支え続けました。

三田明の子供の人数もリサーチ!

三田明さんと奥さんの間には、お子さんはいません。

結婚した年齢からすると、お子さんを作る期間は十分にあったとは思います。

しかし、夫婦で話し合った末に、子供を持たないことに決めたのかもしれませんね。

三田明さんは姪っ子や甥っ子をとても可愛がっており、ブログにもよくアップしています。

姪っ子の秀佳さんの息子、勇普樹(ゆうき)くんの名付け親は、三田明さんだそうですよ。

三田明さんには妹さんがいて、その夫は元プロ野球選手・森浩之さん。

おそらく姪っ子さんたちは、妹の子供なのでしょう。

三田明さんにとっては姪っ子、甥っ子が子供で、その子供となると孫の様な感覚だと思います。

三田明のwiki経歴プロフィール!

本名  :辻川潮(つじかわ うしお)
芸名  :三田明(みた あきら)
生年月日:1947年6月14日(76歳 ※2025年時点)
出身地 :東京都昭島市
学歴  :八王子学園八王子高等学校・中学校
職業  :歌手・俳優
所属事務所:太陽企画株式会社

三田明さんは1962年、オーディション番組『味の素ホイホイ・ミュージック・スクール』に出演。

作曲家・吉田正に評価されて芸能界入りとなりました。

翌年、『美しい十代』で歌手デビューし、同名の映画で映画初主演を務めました。

『美しい十代』は当時大ヒットとなり、青春歌謡として、三田明さんの代表曲となっています。

そして、橋幸夫さん、舟木一夫さん、西郷輝彦さんと「(昭和アイドル)四天王」と呼ばれるようになりました。

全国歌謡ベストテンでは15曲以上が1位を獲得し、1964年~1969年まで紅白歌合戦に出場。

三島由紀夫氏ら著名人も三田明さんの大ファンだったそうです。

しかし、1971年には所属事務所の東洋企画が倒産。

マネージャーが勝手に三田明さん名義で多額の借金を抱え失踪、その返済の為に日本全国へ巡業することとなりました。

1972年11月、日本航空351便ハイジャック事件に巻き込まれるも、事件発生中に三田明さんは熟睡中。

事件のことを語れなかったため、マスコミから「スチュワーデスと付き合いたい」と事実無根のことを書かれてしまいます。

その後は、バラエティ番組でも活躍し、特技のものまねで『象印スターものまね大合戦』などに出演。

当時は「スターが他のスターの物真似をする番組」で、大賞の常連でした。

1979年12月には、自宅で天ぷらを揚げていた時に火がつき、慌てて水をかけて火災するという事故が発生。

顔面に大火傷を負ってしまい、しばらくテレビから姿を消すことに。

復帰後は時代劇の出演が増えるも、悪党の斬られ役など端役しか与えられないことも多かったそうです。

その後も堅実に仕事をこなし、歌手、俳優として活動しています。

2004年には、第46回日本レコード大賞功労賞を受賞しました。

まとめ

今回の記事は、

三田明の嫁は16歳年下の美人!
三田明と嫁の馴れ初めは?
三田明の子供の人数もリサーチ!
三田明のwiki経歴プロフィール!

三田明さんの妻は16歳下の美女で、常連だったお店の娘さんだったそうですよ。

2人の間には子供はおらず、妻は病気で亡くなっていたことが分かりました。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次