女優の広末涼子さん。
10代の頃から第一線で活躍し、幅広い作品に出演していますね。
スキャンダルが多いイメージもありますが、その人気は衰え知らずです。
そんな広末涼子さんですが、実家や家族構成が気になっている方も多いと思います。
そこで今回の記事は、
こちらの内容でまとめていきます。
広末涼子は4人家族!

父親:廣末忠彦さん
母親:廣末真弓さん
妹 :廣末衣美さん
両親はしつけが厳しかったものの、家族全員がとっても明るく仲良しだったそうですよ。
広末涼子の父親母親はどんな人?

広末涼子さんの両親は、どんな人だったのでしょうか。
順番に見ていきましょう。
父親は雑貨店を経営

父は高知名物よさこい踊りが得意で、地元では名手として有名だったとか。
現在は、生活雑貨店「MAMAIKUKO(ママイクコ)」を経営しており、フランチャイズで全国展開しています。
さらに、不動産業として、商業ビル1棟アベニューⅡ(別名:廣末ビル)を所有しているようですね。

所在地:高知県高知市帯屋町1丁目14-1アベニューⅡ
正確には父親ではなく、父親の兄・末廣幸彦氏がオーナーのようです。
マクドナルド高知県1号店が”廣末ビル(アベニューⅡ)”に入っていことからも、かなり財力のある方ではないでしょうか。
マクドナルド1号店は、その土地で1番繁栄してるところにオープンすると言われています。

廣末ビルは「帯屋町筋アーケード」にあり、商店街で大手チェーン店が入っているとなると、かなりの不動産収入がありそうです!
広末涼子さんは高知市立追手前小学校出身(追手筋2丁目1-1-12)なので、この付近に実家があるのでしょう。
広末涼子さんは地元のよさこい祭で、「帯屋町筋」のチームとして参加しています。
実家は「帯屋町」内にあるということですね。
実家は金物屋だった

廣末家の次男として誕生し、横浜の大学を卒業後、高知に戻っています。
そこで、兄とともに祖父の金物屋を受け継ぎました。
曾祖父・廣末静一さんが金物屋を開業し、戦死した兄の代わりに祖父・廣末隆久さんが継ぐことに。
戦後の厳しい状況の中、お店を大きくしていったそうです。

隆久さんが亡くなってからは、長男の廣末幸彦さんが継ぎ、父の忠彦さんも一緒に支えていたようですね。
しかし昭和58年には、隣の飲食店が火事を起こし、金物屋は巻き込まれて全焼してしまいます。
その2年後、跡地に商業ビルを建設し、「廣末ビル(アベニューⅡ)」を所有しました。
幼い頃の広末涼子さんは、マクドナルド高知1号店を「第2の実家」と呼ぶほどだったそうですよ。
母親も雑貨店を経営

眞弓さんは北海道旭川市出身で、旧姓は「安藤」といいます。
祖父が四国から移住したという経緯があるので、もとのルーツは香川県だそうですよ。
昔の眞弓さんの写真を見ると、とっても美人で広末涼子さんにそっくりです。

眞弓さんは父親の仕事の都合で、埼玉県秩父市、神奈川県横浜市と住まいを転々としていました。
その尾1979年に結婚し、高知県に戻って金物屋を支えることとなります。
そして、1980年、24歳のときに長女の広末涼子さんを出産しました。
母親はサバサバとしていて勝ち気な性格で、教育にも厳しかったとか。

「笑う」「どんな時も挨拶を大事にする」「勉強」「諦めること」をモットーにしています。
このおかげで、広末涼子さんも芸能活動にプラスとなったようです。
眞弓さんは現在も、父・忠彦さんが経営する雑貨店「MAMAIKUKO」で働いています。
広末涼子の妹は保育士で超美人だった!

広末涼子さんの妹・廣末衣美(えみ)さんは、3歳下の41歳です。(※2025年時点)
妹の衣美さんは高校卒業後、東京の大学に進学し、保育士になるための勉強をしていました。
大学卒業後は、東京の保育園で働いていたようです
東京に住んでいた頃は、広末涼子さんと一緒に暮らしていた時期もあったそうですよ。

その後、高知市の実家に帰省した際に、現在の旦那さんと出会い、結婚しています。
遠距離恋愛を乗り越え、現在は夫婦の地元である高知市で暮らしています。
お子さんもいるようで、両親にとっての孫がたくさんいて嬉しいでしょうね!
広末涼子さんにとって妹さんは、何でも相談できる存在だそうですよ。

広末涼子のwiki経歴プロフィール!

本名 :廣末 涼子(ひろすえ りょうこ)
生年月日:1980年7月18日(44歳)
出身地 :高知県高知市
身長 :161センチ
血液型 :O型
職業 :女優
事務所 :R.H
幼少期より芸能界や女優に憧れを抱いていた、広末涼子さん。
小学6年生のときには『1992年四国子供TVサミット』に出演し、NHK高知放送で取り上げられたこともあります。
その際「さっきのかわいい子、もう一回映して」言われるほど、目立った存在だったそうです。
中学2年生のころ、雑誌で見つけたCMオーディションに応募し、第1回クレアラシル「ぴかぴかフェイスコンテスト」でグランプリを受賞。

「ドラマも映画も音楽も全部見るのが大好きで。物心ついた時から女優さんになりたいと思ってたから、なれないって思ったことがなくて。“オーディションもきっと数打ちゃ当たるんじゃない”って母に言われて、普通にベランダで写真撮ってもらって初めて送った履歴書がまさかのまさか、当たっちゃって、そこからでしたね」
引用:オリコンニュース
もちろんお芝居は素人だったので、ある意味下積みはなく、すぐに現場へ飛び込んだそうです。

1996年、NTTドコモのCM「広末涼子、ポケベル始める」で一躍全国区になりました。
ただの高校1年生だった女の子が、いきなり新聞の広告に登場し、「ポケベルの子」と言われるようになります。
初写真集『H』『R』は46万8000部を売り上げるベストセラーとなり、セカンド写真集『No Make』も26万部を突破。
1997年には竹内まりやさんプロデュースによる「MajiでKoiする5秒前」で歌手デビューを果たし、60万枚のヒット。

続く岡本真夜さんプロデュースの「大スキ!」は、オリコン1位を獲得しました。
同年には『第48回NHK紅白歌合戦』に初出場し、女性アイドル歌手がデビュー年に紅白に出場するという快挙を成し遂げます。
そのボーイッシュな中性的イメージは多くのファンに支持され、数々のドラマにも出演。

2002年からは女優業に専念するため、歌手活動は休止することを発表しています。
その後も、結婚・出産・離婚を経て、女優として様々な作品に出演しました。
プライベートではスキャンダルが度々報じれられている広末涼子さんですが、それでも人気が衰えない多くの魅力がある女優さんです。

まとめ
今回の記事は、
・広末涼子は4人家族!
・広末涼子の父親母親はどんな人?
・広末涼子の妹は保育士で超美人!
・広末涼子のwiki経歴プロフィール!
こちらの内容でまとめました。
広末涼子さんの家族構成は、両親と妹の4人で、実家は雑貨店を経営していることが分かりました。
家族仲は非常に良好で、妹さんも高知出身の方と結婚し、広末涼子さん以外は皆さん高知に住んでいるようです。
今後の展開にも注目ですね!
最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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