女優の広末涼子さん。
10代の頃からドラマや映画で活躍されています。
プライベートでは3児の母として家庭と仕事の両立をしており、現在も人気を集めていますね!
そんな広末涼子さんは偏差値63で頭が良いと言われています。
そこで今回の記事では、
こちらの内容でまとめていきます。
【学歴】広末涼子は偏差値63で頭が良い!

早稲田大学教育学部の偏差値は65前後で、国内トップクラスの名門大学です。
ここに進学できるだけでも凄いことですね!

ただ2003年10月に中退しています。
大学進学から中退の理由まで詳しく調査しましたので、ご覧ください。
- 早稲田大学に自己推薦入試で合格
- 大学生活はどうだった?
- 中退の理由は?
①早稲田大学に自己推薦入試で合格

広末涼子さんの場合、芸能界での経験や受賞歴が評価され、早稲田大学の自己推薦入試に合格しました。
学力だけでなく、芸能界での実績や自己推薦入試でのアピール力が高く評価されたことで入学。
自己推薦入試が裏口入学を勘違いされてしまい騒動が起こっています。
入学騒動

この騒動は自己推薦入試の公平性や評価基準に対する疑問から生じたものです。
当時、広末涼子さんの入学に関しては合格前から週刊新潮や週刊現代、合格後には「噂の真相」が「不正入試疑惑」を報じていました
- 出来レースでは?
- 広末の通う高校の理事長が教育学部の学部長と懇意だった
- その学部長が発表の数ヶ月前から彼女の合格を口にしていた
- 受験に向けて、仕事をセーブしていなかった
- 恋人とのデートを何度も激写されていた
- 初登校は6月26日
- 事務所が各メディアに予告していたため取材陣が殺到
- 二度目の登校は大学側の厳重な警備が話題になった
早稲田の自己推薦入試の入試要綱には
「学芸系・スポーツ系の都道府県以上の大会で、特に優れた成績を挙げた者」
「生徒会会長として顕著な活動をした者」
とあり、芸能活動は対象ではなかったとの声もあがっています。
おかげで世間からの逆風を受けることになってしまった広末涼子さん。

広末さんは当時を振り返り下記のようなコメントを出しています。
「大学入学後、想像以上に周りの反響が大きく、色々な声も聞こえてきた。イメージとのギャップをどう埋めていこうかと悩んで初めて壁に当たりました」
ただ、自己推薦入試は、学生の多様性を尊重し、個々の能力を最大限に活かすための重要な制度です。

広末涼子さんのように、特技や経験を持つ学生にとっては、大きなチャンスとなります。
この制度は多くの学生が自分の可能性を広げることが期待できるのでとても良い制度だと考えられるため自己推薦入試を利用することは批判されるようなことではありません。
自己推薦入試とは、学力試験だけではなく、志望動機や特技、経験などを評価する入試制度です。
学生の多様な能力や個性を尊重し、幅広い人材を受け入れるために設けられています。
受験生の人間性に重きを置くため、自己推薦入試では、大学によってさまざまな選考方法があります。自己推薦入試では、主に以下の選考方法を組み合わせて評価します。
①書類審査
志望理由書や自己推薦書、調査書などを基に、志望動機・学業成績・課外活動の実績を評価します。②面接
個別またはグループ面接で、志望理由の明確さや将来の目標、自分の考えを論理的に表現する力、学校への適性などを確認します。③小論文・プレゼンテーション
与えられたテーマに対し、考えを整理し論述する力や表現力を確認します。④実技試験(専門学部の場合)
トライコラム
芸術や体育系学部などでは、実技パフォーマンスを通して専門分野の能力を評価します。
②大学生活はどうだった?

- 1999年4月1日の入学式、3日の学部入学式、5日の第1次課目登録は欠席
- 15日からは講義も欠席
- 早大生の間では“広末休学説”がささやかれる
- 5月30日都内で開かれたファッションショーに出演
- 『早く大学に行きたいです』と意欲を見せた
- 5月末の時点で4年での卒業は無理だと判明
- 6月広末と俳優の伊勢谷友介が同棲していると報じた
- 初登校は6月26日
- 2年生になると再び欠席が増えた
6月に報じられた伊勢谷友介さんとの同棲について、所属事務所は否定のコメントを公表していました。
その後は真面目に授業を受けている姿も目撃されていたのですが、教室移動中に髪を引っ張られるなどの出来事があったそうです。
国語国文学科入学の文章力

林真理子さんによれば、
「解説はなんとあの広末涼子ちゃん。早大国文科にふさわしい文章力である」
とのこと。
しかし、読者には、
「朱子のことを心配しながら、結末まで一気に読んでしまいました」から始まり「林真理子さんの小説を、もっと読んでみたいと思いました」と締めくくられる文章は、読書感想文風
だと囁かれていたようです。
さらに、2024年に広末涼子さんが鳥羽周作シェフに宛てたラブレターが、週刊文春により全文公開され、その時も世間から「子供っぽい文章」だと言われていました。
文春オンライン

このラブレターと不倫騒動により広末涼子さんのナチュラルで純粋なイメージは崩壊してしまいました。

ただ、中には「人間味があって好きになった」「本当の恋ってこういうものなのかも」という意見もあったようです。
③中退の理由は?

- 5年目だった2003年10月に早大に退学届を提出
- 5年間で取得した単位は卒業に必要な124単位の3分の1にも満たなかった
結局、広末涼子さんは2003年5年目の10月に退学しました。
事務所は「学業と仕事を両立すべくスケジュールをやり繰りしてきたが、中途半端な結果を双方に残したくなかった」と説明。
大学に登校しなかったことは広末涼子さんにとって最初の“奇行”だったとの声もあがっているようです。

しかし、広末涼子さんは「仕事以外の場所を持ちたかったから大学に行きたかった」と後に明かしています。
自分なりに苦悩し努力した結果だったのでしょうね。
ただ、芸能活動をしながら大学に進学しただけでも素晴らしいですよね!
【学歴】広末涼子の出身小学や中学&高校もリサーチ!

①出身小学校:高知市立追手前小学校
②出身中学校:高知市立城北中学校
③出身高校:品川女子学院高等部(偏差値63)
出身小学校から順番に詳しく見ていきましょう。
①出身小学校:高知市立追手前小学校
広末涼子さんの小学生時代をまとめると下記のようになります。
- 1987年4月に入学
- 1993年3月に卒業
- 実家が経営していたインテリア雑貨店が近くにあった
- アーケードでローラースケートをした
- 川で水遊びをしたりと活発な子供時代を過ごした
1992年10月、小学6年生のころに四国四県を結ぶテレビ授業『1992年四国子供TVサミット』が行われたそうです。
広末涼子さんは小学校代表で広末さんが司会を務めています。

NHKの記者からインタビューを受ける映像(NHK高知放送局で保管)が『ファミリーヒストリー』(2021年2月15日放送)で流れ話題になりました。
当時の担任教諭によると
「テレビ授業のリハーサルの時に香川県の小学校からさっきのかわいい子、もう一回映してくれませんかと言われており、県外の子から見てもかわいい存在だったんじゃないでしょうか」
小学校の卒業文集には「女優になりたい」と書くほど、幼い頃から芸能界への強い憧れを持っていたようです。
②出身中学校:高知市立城北中学校


広末涼子さんの中学時代のまとめは下記になります。
- 1993年4月に入学
- 1996年3月に卒業
- 広末はクラスでトップの成績を誇る優秀な生徒だった
- 陸上部に所属
- 走り高跳びやハードルで高知県大会2位
- 四国大会にも出場する
- 駅伝大会では8人抜きで区間賞を獲得する

中学2年生の時(1994年)、雑誌で見つけた「第1回クレアラシルぴかぴかフェイスコンテスト」でグランプリを受賞し、芸能界入りを果たしています。
この頃からCM出演が始まり、忙しい日々がスタートしました。
③出身高校:品川女子学院高等部(偏差値63)

当時の偏差値は62~63です。
現在は中高一貫校として偏差値67の進学校として知られているそうです。

高校時代をまとめましたのでご覧ください。
- 1996年4月に入学
- 1999年3月に卒業
- 中学卒業を機に高知から上京
- 神奈川県横浜市の伯母宅に住みながら通学
- 芸能活動を本格化させるため東京の高校を選んだ
- 高校1年生の時、NTTドコモのポケベルCM「広末涼子、ポケベルはじめる」で大ブレイク
- ドラマ『ビーチボーイズ』など12本もの作品に出演
- 歌手デビューも果たす
高校1年生で大ブレイクを果たし超多忙な日々を送った広末涼子さん。
それでも、学校行事には可能な限り参加し、友人とカラオケや食べ放題を楽しむ「普通の女子高生」らしい一面もあったようです。
ただ高校時代は、ヒロスエブームの絶頂期でもあり、通学時にはファンが殺到し、SPが付き添うほどの人気ぶりでした。
偏差値63という高いレベルながら、芸能活動と学業を両立させた広末さんの努力は、まさに「頭が良い」証拠と言えるでしょう。
広末涼子のwiki経歴プロフィール

本名 :廣末 涼子
生年月日: 1980年7月18日
出身地 :高知県高知市
身長 :161 cm
血液型 :O型
職業 :女優、歌手
活動期間: 1994年 – 2023年6月
2024年2月 – 2025年4月
配偶者: 岡沢高宏(2003年 – 2008年)
キャン:ドル・ジュン(2010年 – 2023年)
事務所: R.H
中学1年生の時の文集には「15歳の時-輝くモデルデビュー、18歳の時-芸能界に入り女優になる」と書いて、実現しています。

中学2年生の頃に雑誌で見つけたCMオーディションに応募し、第1回クレアラシル「ぴかぴかフェイスコンテスト」でグランプリを受賞しました。
1995年15歳の頃クレアラシルのCMでデビュー。
同年の6月12日、『ハートにS』でドラマデビューも果たしました。

1994年にポケベル(NTTドコモ)のCMでブレイクして以来「ロングバケーション」(1996年)「ビーチボーイズ」(1997年)といった人気ドラマに立て続けに出演していました。
また、歌手として「MajiでKoiする5秒前」(1997年)をヒットさせ「紅白」にも出場という輝かしい経歴を持っています。
まとめ
この記事では
・広末涼子は偏差値63で頭が良い!
・広末涼子の出身小学や中学&高校もリサーチ!
・広末涼子のwiki経歴プロフィール
についてまとめました。
広末涼子さんの学歴は偏差値63の品川女子学院高等部や早稲田大学教育学部に進学するなど、優秀だったことがわかりました。
芸能界デビュー後ヒロスエブームの中心にいながら、学業との両立につとめ友人との楽しい思い出も作っています。
これからは体調を整えて学生時代の頃のように母親としても社会人としてもがんばってほしいですね。
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